夏休みの思い出とは鮮烈です。
食べ物の事となるとなおさらのこと。
最近は子供の頃の色々な味を良く思い出します。味そのものを思い出すのではなく、食べる事にまつわる体感が蘇る瞬間がある、というほうがしっくりしますが。
夏の海辺で食べた塩で揉んだ丸ごとのきゅうり。
磯遊びしながら獲ったウニをその場で割って食べた海の味。
庭先の木でカゴから溢れるほどの黄色いプラムのやさしい甘さ。
うんざりするほどどっさり、毎食出てくる真っ赤なトマト。
昼寝から覚めて食べたしょっぱいトウモロコシ。寝ても覚めてもずーっと夏休みが終わらないと思っていた。
何気なく食べていた果物や野菜はほとんどが庭や近くの海や山から採れたもの。
これらは私の体験のなかでかなり重要な要素になっているのではないか、と今だから深く思う。
今、家族に御飯を作る中でこの食べ物がどこの誰がどのように作っているかを知らせるチャンスはほとんど無い。お勉強ではなく、ごく自然な成り立ちの事。
スーパーに行って買い物したり、時々外食して、手間という時間をお金で得ているとしたらその得た時間を何に使っているんだろう?
意識しないまま時間はどんどん流れていってしまう。
子供達が大人になった時に、ふと思い出す風景の中に美味しい御飯があってくれたらいいなと思う。ご馳走ではなくても贅沢な時間。
今の子らはカルピスは「水で割るもの」という事を知らないので驚く。
カルピスウォーターなる、あらかじめ薄められたジュースを飲んでいるからで、私がカルピス原液に水を加えたら「何をする!」とトガメラレてしまいました。
あの茶色いビンに水玉の紙、アンニュイな黒人女性(かどうかは分からないけど)と細いストロー。カルピスは時々しか飲めない贅沢な飲み物だったな。
カルピスを見ると、カランカランという氷の音もきこえてくる。この感じが好きなんだなぁ。
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